打つところが決まってから石を持って、打つ
「打つところが決まってから石を持って打ちましょう。それだけで強くなれるんです。」と、水曜日を担当している村岡先生が言っているのを聞いたことがあります。(確か村岡先生だった…はず。)
聞いた時は、「そうかしら…?」とかちらっと思ったりしたのですが、(ごめんなさい…)
よくよく考えてみると、まさにその通りだったりするんですね。
礼儀としてはもちろんのこと、棋力向上のためにもそれは重要なことなのです。
こっちがいいかしら?あっちがいいかしら?
悩んでしまう気持ちはもの凄く分かりますし、私もそうです。
いや、恐らくみんなそうでしょう。
迷う、悩む、考えるのはいいことです。
しかし問題なのは、
石を持ったままそれをやってしまうと、
迷ったまま、悩んだまま、置いてしまうんです。
それは、迷いと悩みを含んだ一手。
対して、「打つところが決まってから打った手」というのは、
決断と責任を含んだ一手。
同じところに打ったとしても、全然違ってくるんです。
上達を早める、決断と責任
例えば打った手が悪手(よくなかった手)だった際、
前者は、特に決断して打ったわけではないため、振り返って学習しても印象に残りにくいんです。
そして言い訳もしやすい。
後者は、ここだと決めて打った手なので、決めた理由や背景、覚悟や責任が少なからずあります。
悪手だったとしても、振り返った際、「どこをどう考えて打ったから間違えたのか」が明確になるんです。
そして、自分で決断して打った責任があるからこそ、改善点や反省点が身にしみて分かるようになるのです。
だから、「打つところが決まってから打つ」ようにすると、上達も早くなります。
悪手は上達のためのステップ
しかし、「決断する」ということは勇気のいることです。
誰だって悪い手は打ちたくないですし、ましてやそれを指摘されるなんて…
「恥ずかしい」
そう思いますか?
大丈夫です。
誰であっても(もちろん私も)悪い手は打ちますし、むしろ
それは恥ずかしいことではなく、次のステップに進むチャンスなのです。
勇気を持って、手は膝の上に。
決断したら、石を持って、
石を持ったら自身の決断を信じて一直線に打ってください。
たとえそれが結果的に悪手だったとしても。
決断と反省を繰り返した数だけ、囲碁は強くなれます。