囲碁において、棋力はおいくつ?
と言われて、〇〇級です!〇〇段です!と、自信持って答えられる人、あんまりいないのではないでしょうか。

アマチュアの中だと、
段級位がここまでアバウトなものはないのではないかというくらい曖昧な囲碁。

それ故、その段級を巡って様々な意見や、トラブルが結構あるみたいですが…
じゃあ統一すればいいんじゃないの?ってなると、
違う違う、そうじゃ、そうじゃないと歌いたくなるわけでw

ということで、
今回は、棋力ってなんだろうってお話。

 

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棋力とはなんだろう

棋力とは、強さの指標です。
ゲームで言うとレベルみたいなものかなと思っていただければ。

さて、囲碁はハンデをつければ強い人とも互角で戦える(遊べる)すんばらしいゲームだと思っています。そしてそのハンデを決める目安が棋力です。

また、棋力は上達の目安としても、明確な数値目標にも設定しやすいですね。
モチベーションにもつながります。

ところが、その棋力自体が、相対的で曖昧であるため、必ずしも正確ではない…
といったところがなかなか難しいところ。

それ故に、自分の棋力は〇〇!と言い辛いんですよね…

 

棋力は相対的なものだ

それでも大会に出たり、碁会所で打ったりする際、必ず必要になってくる棋力。
一体何を基準に申告すればいいのやら…

もちろん基準となるものはいくつかあります。

有名なのは棋院が開催している認定大会ですね!
認定してほしい段級で出場し、四段以下なら打ち分け(2勝2敗)以上で免状を取得できます。
五段以上は勝ち越し。

また、ネット碁の段位のレーティングも一つの指標になるでしょう。

いつも通っている碁会所や教室の段級で決定するのもいいでしょう。

がしかし…

どれも相対的に決まっているものです。
何ができたらどう、というのはありません。
何かができたら〇〇級!とかの明確な決まりが無いのです。
(設定している教室さん等はあるかもしれませんが、一般的な棋力の話からは今回外します。)

誰かと対局して勝敗このくらいなら、〇〇級じゃね?といった感じ。

しかし、当然調子が良い時があれば悪い時もあるわけで。
正確かしら?と言われると、んー…曖昧!w

と言わざるを得ないのです。

 

棋力はグループ内の相対評価による

以上のように、棋力は相対的なものなので、
グループ・コミュニティの中での相対成績で「なんとなく」指標を図れます。

認定大会に出ている人の中での相対成績
ネット碁で打ってるたくさんの人たちの中での相対成績
碁会所で打っている人たちの中での相対成績

ところが、そのコミュニティの中だけであればある程度は問題はないのですが、
それぞれのコミュニティの人たちが一同に会した際(大きな大会など)
この相対的な棋力評価は、ズレが生じてしまうのです。

例えば、
認定大会では初段は取れたけど、碁会所ではまだ2級だ、ネット碁で打つと5級以上になかなか伸びない…
ネット碁では初段だけど、何故か碁会所では五段認定されちゃったぞ??
とか

 

棋力には主観も入る

この曖昧な相対成績に加え、棋力には自身の主観も入って来ます。

例えば初段で認定大会に出たとしましょう。

①1勝でもできたら自分は初段の実力がある!
②2勝2敗なら打ち分けだし、自分は初段ある!
③勝ち越せば初段ある!
④全勝優勝しなければ初段とは言えない!

私は全部間違いではないと思っています。

その段級位で絶対全部勝てなければその段級位ではないという自己に厳しい方もいれば、
チャレンジして勝てたのだから、その段級位で頑張れるという上昇志向の高い方もいます。

しかし、①だと思っている人が④の人をみると、
なんかズルくね?嘘じゃね?とか思ってしまうわけです。

ちなみに私だと、①の条件なら五段、②の条件なら四段、③の条件なら三段、④の条件なら初段といったところでしょうか。
実に初段〜五段の開きです。

仮に私が初段で大会に出たとしたら…
あれ?ズルくね?という声が出てもおかしくないのです。

勝って当然の手合いで自分の棋力とすべきか
いい勝負が出来て自分の棋力とすべきか
一発入ればもうその棋力とすべきなのか…

んー、難しいですね^^;

 

棋力は自分次第

結局棋力は自分次第ってことになります。
なんとなく相対的に棋力をぼんやり絞って、自身の裁量で名乗ります。
大抵の大会等での棋力が自己申告制なのも、自身に決定権があるからですね。

そんな曖昧な!
となるかもしれませんが、私たちはアマチュアです。
自身が楽しめる棋力を名乗ればいいと思います。

ただし、囲碁は一人ではできません。
相手があって初めて楽しめるものです。

「自分だけ」が楽しめるような基準にするのだけはいただけないかな、と私は思います。

 

棋力に文句は言わない

尤も、相手の棋力に文句を言うのはよろしくないことだと思っています。

あいつは本当は〇〇級なはずなのに卑怯だ
とか
〇〇級も無いはずだ
とか

先にも書いたように、棋力とは相対的であり、主観に左右される曖昧なものです。
自分が楽しくない、気に食わない、自分が正しいと思っているからといって、
相手を尊重できないのは良くないことだと私は思います。

勝負事ですので、どうしてもそうなってしまうのは致し方ないことかもしれないのですが、
私個人としては、囲碁は紳士淑女が嗜むものであって欲しいのです。
対局前に「お願いします」と、互いに相手を尊重するものであって欲しいのです。

だからこそ棋力が曖昧でも、私は特に問題ないのではないかと思っているのです。

お互い尊重し合えずに揉め事が起こるから統一する。
あなたはこのレベル、と外部の決まりごとを基準にようやっと棋力が定まりました
なんていうのは、悲しいというかなんというか。

ただの私の勝手な願いだということは承知のことなのですが。

 

棋力に誇りを持つ

棋力とは、自身の誇りであると私は思っています。
誰から言われたわけでもない、自分がこの棋力だと、
そう名乗ることが誇りであり、相手への礼だと思っています。
(もちろん外部の相対評価を参考にするのはいいことですが、最終決定は自身です。)

つまり、
自身に誇りが持て、相手に礼を尽くせると思える棋力が
アマチュアにおける棋力なのではないのでしょうか。

曖昧であるからこそ、
自身を見つめ直せるし、相手のことも考えられる。

囲碁の美しいところはそういった部分だと私は勝手に思っています。

勝ち負けは結果です。
結果を求めるあまり、
自身の誇りである棋力を結果ありきにしてしまっては、
囲碁そのものを楽しむことはできないのではないかなあと思います。
1人プレイならまだしも、相手のいることですから。

相手から学び、自身を見つめなおし、
成長した結果が自身の誇りであり、棋力となるのではないかと思っているのです。

ということで、
いちプレイヤーとしても、みんなが楽しく過ごせる場を提供する立場としても、
棋力について思うことを書いてみました。

棋力に絶対はありません。曖昧な相対基準はありますが、
名乗るのは自分です。
それに誇りを持って、相手に礼を尽くし、
さらに次のステージへ成長するための今を数字にしたものが棋力かなと。

砕けて言うと、
相手は凄いなあ、自分はこんなに成長できたぞ!という過程を経て
得られた結果が棋力なんじゃないかな。

私はそう思うわけなのです。

そいではまた次回ー

 

 

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